Night Train(VI) 番外編 電車・気動車

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 今回のシリーズも最後になりました。完全ではありませんが、どうぞお楽しみ下さい。

 平成12年、夏休み前の函館駅で出発を待つ快速”ミッドナイト”。車両はキハ27、56で、流石に古さを隠せずにいました。その後余剰のあったキハ183系に置き換えられましたが、残念ながら廃止されました。高速バスに対するメリットがあまり無かったからでしょうか。
 平成12年、東北新幹線八戸開業まで多客臨として運転されていた、”はくつる81・82号”です。多少見苦しい所はあるものの、往年の雄姿を彷彿とさせる姿です。製造は昭和40年代、正面の愛称表示が手動なのを知らないファンがいるとか。”そんなの、常識だよね!”なおこの写真は、上野にて撮影しました。
 上の写真と同日に撮影した”能登”。この頃はまだ”白山”塗装のままでした。国鉄色に塗り戻された今、この写真は貴重でしょうが、正直言って、首の下が汚い芸者のようで、あまり好きにはなれませんでした。
 同年、南小谷まで運転されていた”くろよん”。この頃の並行列車”ちくま”はJR東海の383系でしたが、あまりに登山客が多すぎたせいか、381系に戻され、現在は季節臨に格下げされました。当時既に季節臨だった”くろよん”は、日根野運転所の381系でしたが、翌年には運転が中止されました。
 ご存じ”サンライズ”です。この日”サンライズ瀬戸”の運用に入っていた、クハネ285 3002(JR東海所属車両)です。松山駅向かい、松山運転所にて撮影。
 平成13年夏、急行”だいせん”の運用に入っていた、”エーデル”編成です。もともと客車列車だった”だいせん”は、キハ65改造の”エーデル”で運用されましたが、旧式化は否めず、”さよならだいせん”で廃止されたことは、記憶に新しい所です。
 平成14年夏、青森運転所の撮影会にての一コマ。衰えは否定できませんが、”月光形”の最後の末裔、美しいですね。長く残って欲しかったのですが、青森運転所の縮小で、既に2編成しか残っていなかった583系は、結局秋田と仙台に1編成ずつ配置転換されました。
 平成16年に同様の撮影会を行った時は、表示幕が485系のものに交換され、結果サイズが合わず、マグネットシールを貼るなどの苦労をしていたものの、やはり往年を思い出せず、登載は止めました。
 上の写真と同日、反対側から撮影したもの。”ゆうづる”という表示は、正に最後でした。
 平成17年5月、網走へ向け準備する”オホーツク9号”です。JR北海道は気動車の間に寝台客車(当然スハネフ14)を挟む夜行が多く、ここにはない元”おおぞら13・14号”(現”まりも”)もそうでした。平成18年3月改正で、この列車は冬季だけの季節臨に格下げされます。夏休みの需要も見込めるのに!
 この日は、結局”利尻”に乗り、稚内へ。この”利尻”も、ゴールデンウィーク中は混雑していたのですが。”サロベツ”と寝台客車以外は共通運用だった”利尻”も、夏季だけの季節臨に格下げです。残念。
 平成17年夏、門司港にある九州鉄道記念館で、屋外展示されているクハネ581 8です。他用途に使われていたようですが、綺麗に復元されています。
 平成18年2月に、京都にて小遣い稼ぎで撮影した、”きたぐに”です。”月光形”の元祖、クハネ581も入っています。これが伝統の塗色なら、JR西日本も自社でリバイバルトレインを運転できたのに!”きたぐに”予備車含め3編成を除いても京都に3編成残っているのに、勿体ない!資産は有効に活用しましょう。
 これも小遣い稼ぎ、平成18年3月に、朝の東京駅で撮影した”サンライズ”。上り先頭方は確か”サンライズ瀬戸”の筈ですので、このページに来ました。
 私の地元からは不便な”サンライズ”、午前2時でもいいから、どうか下りは停めて!
 平成18年夏、札幌駅に到着した”まりも”。釧路に到達するキハ183系はこれだけになってしまいました。中間にスハネフ14のみならず、オハネ14までも入れ、寝台車が2両!正直言ってMT比が低いこの列車を遅く感じるのは、私だけでしょうか。ただ遅いと言っても夜行、急ぐ必要も無いのでしょうが。
 これも偶然撮影した、上り”利尻”札幌到着の写真です。昨春は安心して乗った”利尻”も、今は夏季だけの季節臨になってしまいました。”オホーツク9・10号”の臨時化と共に、北海道鉄道旅行の自由度が下がったと思うのは、私だけでしょうか。
 割とあっさりと終わってしまった本シリーズ、自分的には少し物足りないのですが、最初の大特集としては、この程度か。次回を目指し頑張りたいと思います。

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