特集 Sleepers 7 北海道内
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 遂に、夜行列車が無くなった北海道内ですが、かつては多く走っていました。その最期の歴史を、追っていきたいと思います。
 1枚目は、平成10年の急行「宗谷」から(写真)。
急行「サロベツ」「利尻」と共通運用で、キハ400、480にキハ182で、正に「継ぎ接ぎ」編成でした。
 二日後、急行「利尻」に乗車。中間に、寝台車スハネフ14-501が挿入されています(写真)。
 キハ400との連結面(写真)。貫通幌は、高さが合っていました。
 反対側の連結面(写真)。こちらも、キハ182に合っています。
 キハ480(写真)。継ぎ接ぎであることが、分かると思います。
 函館駅にて出発を待つ、キハ27 501、快速「ミッドナイト」札幌行きです(写真)。
 その相方、キハ27 551です(写真)。2エンジンのキハ56は、連結されていませんでした。
北海道では、青函連絡船の影響か、夜行は「カーペット車」が多かったでした。
 快速「海峡」末期の姿、ED79 19が、「ドラえもん」塗装になっています(写真)。
 同機は、ED79 5との重連でした(写真)。
 他日の、ED79 3(写真)。
 同日、ED79 17(写真)。
 札幌駅出発を待つ、キハ183-211特急「オホーツク9号」(写真、廃止)。
網走行きの夜行便、スハネフ14を1両連結します。
 同編成の反対側(写真、219)。この姿は、昼間でも間もなく見られなくなります。
 キハ183-1504、特急「利尻」(廃止)、稚内到着の姿です(写真)。
「サロベツ」編成を基本にしています。
 違うのは、中間にスハネフ14-506を挿入していること(写真)。
当時は一旦南稚内で入庫し、寝台車を切り離し、再度回送されました。
下り「サロベツ」は同様に回送、寝台車を南稚内で挿入し折り返し、上り「利尻」になりました。
 下り「利尻」の先頭、キハ183-1501です(写真)。
 釧路駅2番線に据え付けられた、キハ183-501、特急「まりも」(写真、廃止)。
当時既に、根室本線唯一のキハ183系列車でした。
 同編成の特徴は、DG付き中間車、キハ184-2を連結していることです(写真)。
後に先頭車化改造されたものも多く、また短編成化で不要となり、残り僅かとなりました。
 「まりも」は、寝台車が2両挿入されていました。そのうちの1両、オハネ14-504です(写真)。
 もう1両、スハネフ14-507です(写真)。
 そしてこちら側の先頭は、キハ183-210でした(写真)。
 そして、「まりも」は、札幌に終着します(写真)。
 反対側(写真)。MT比は低いですが、夜行に必要なスピードでは十分なのでしょう。
 隣のホームには、特急「利尻」、キハ183-1555他が到着しました(写真)。
 利尻の中間車、スハネフ14 500番代でした(写真)。
 反対側の先頭車(写真、キハ183-1501)。間もなく、帰庫します。
 夜行急行「はまなす」、札幌出発準備の姿(写真、DD51 1148)。
寝台特急はDD51重連ですが、同列車は単機で牽引します。
 同列車の末尾(写真)。スハフ14です。
一部に自由席の「カーペット車」も用意されますが、自由席では記録が不可能でした。
 同列車は函館で方転、牽引機がED79に代わります(写真、13号機)。
ヘッドマークも、しっかりありました。
乗り換える「つがる」および「いなほ」には時間があったので、記録しました。
 すぐ後は、スハフ14です(写真)。座席車は、14系座席車でした。
 編成の半分は寝台車、末尾はスハネフ14でした(写真)。14系座席車+14系寝台車という編成でした。
しかし一体誰が、同列車が「最後の定期急行」で、「最後の定期客車列車」になると思ったでしょうか。
 国鉄美幸線(廃止)営業当時の終点、仁宇布の「トロッコ王国」の片隅に放置される、サハネ581-19(写真)。
国鉄末期に、同型車が何両か苗穂に移籍になっていますが、これは「北斗星」車内装備の試作用のためとのことです。
 根室本線(旧線、廃止)新内駅跡に保存される、9600形59672(写真)。
後には、20系客車が3両続きます(写真)。
 最初の、ナハネ20 132は既に寝台が取り払われ空っぽなので、省略します。
 続いて、プルマン式(開放型)A寝台、ナロネ21 551(写真)。
ギャラリーになっていますが、座席及び寝台は残っています(写真)。
 続いて、ナロネ22 153です(写真)。
一部はそのままギャラリーになり、一部は2段寝台がセットされています。
中間の「喫煙室」ドアの向こうは、「ルーメット」と呼ばれる、1人用個室になっています(写真)。
 「ルーメット」、昼の姿(写真)。個室に、座席に専用テーブル、専用洗面台を用意します。
 「ルーメット」の、夜の姿(写真)。部屋いっぱいの寝台になっています。
ベッドメークされていたのは、たまたま雑誌取材の直後であったからです。
 喫煙室(写真)。当時は、成人男性の喫煙は、ほぼ常識でした。「嫌煙権」など、全く影もありませんでした。
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