特集 Sleepers 4 東京発九州方面
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 現在の状況からは想像もつきませんが、かつての最重要幹線の花形列車、その最期までお楽しみ下さい。
 最初の1枚は、平成12年GW、当時大分駅南西方に広がっていた大分運転所に停まる、EF81 400番代「富士」の停まる姿(写真)。
JR九州所属4輛のうちのどれかですが、判読出来ません。
 帰り道、熊本で捉えたED76 65牽引「はやぶさ」です(写真)。
熊本から博多までに2回電車特急に抜かれ、熊本以南を失った同列車の運命など、思い及ぶことはありませんでした。
 翌年は、「はやぶさ」の、熊本での列車の据え付けから見ます。
DE10 1638が、「はやぶさ」用24系25形客車を、熊本駅西方に広がる熊本運転所から入れ換える姿(写真)。
新幹線駅、及び駅前広場となった現在からは、想像もつかない姿です。
 その末尾は、カニ24 0番代です(写真)。スカート付きの同車、初期形です。
 そして据え付けられた「はやぶさ」(写真)。オハネフ25 100番代が、テールサインを掲出します。
 そこに、ED76 70が連結されます(写真)。
当時はED76も、EF81のサーモンピンクに近い色となっており、少し写欲が減少していました。
ヘッドマークの「さくら・はやぶさ」も貴重です。
 鳥栖からは、「さくら」牽引機のED76 65がそのまま牽引、門司で交代です(写真)。入換灯が点いています。
 そこに、EF81 411が接近(写真)。関門の守りです。
伝説の300番代は、全部JR貨物所属で、うち2両はコルゲートの上からサーモンピンクが塗られ、銀ガマは2両、本当に貴重でした。
当時は、一部深夜のブルートレインに銀ガマが当たることがあったそうで、その記録は、本当に貴重です。
 そして、下関で、東京まで身を任せる牽引機を待ちます(写真)。
東京方は「さくら」、24系と14系の併結列車であり、折り返しは全部で「富士」となり、大分往復後再び「さくら・はやぶさ」で帰庫します。
 東京までの牽引機はEF66 53、JR西日本下関車両所の所属機です(写真)。ポップアートなヘッドマークが懐かしい。
 D100を引っ提げて、最初の遠征は、GWの九州。行きは京都発でしたが、帰りは「さくら・はやぶさ」でした。
ED76 66が牽引します(写真)。
DXフォーマットに適切なレンズが無かったのが残念でした。
 関門間は、EF81 410でした(写真)。
 下関からはEF66 43でした(写真)が、正面は撮影禁止となり、残念でした。大光量フラッシュが原因のようです。
 翌年、D70で、再び、門司にて。
ED76 90が、それまで牽引してきた「さくら・はやぶさ」から切り離されます(写真)。
 連結されるのは、EF81 410です(写真)。
 そして、下関で同機は切り離されます(写真)。
 EF66 46が、連結されます(写真)。
 深夜、岡山駅6番線に停まる、EF66 47牽引寝台特急「富士」(写真)。
何故かデジタルの記録は無く、リバーサルのみで、スキャンした画像はこんな感じです。
直流区間での、富士山形のヘッドマークの「富士」は、これが最後でした。
 EF66 42牽引「あさかぜ」、下関行き、名古屋到着の図(写真)。
全線直流区間とのことで、電源車は大型SIVとパンタグラフを装備したスハ25 300番代でしたが、列車廃止と共に廃車されました。
きちんと記録しなかったことが、悔やまれます。
 そう、オハネフ25 100番代と、スハネフ15の連結シーンです(写真)。「富士」の、大分での光景です。
 牽引機は、EF81 413です(写真)。交流区間での富士山形「富士」は、永く残りました。
 尾久でのイベントで、「レインボー」専用機EF65 1118が、「あさかぜ」を掲出します(写真)。
PF自体は定期で実現していますが、同機での運転はあったのか、どうか。
 最後の65P形国鉄直流特急色4両での、高崎でのイベントです。
535「さくら」、501「はやぶさ」、539「富士」、541「あさかぜ」を掲出します(写真)。
 「さくら」廃止直前の姿(写真、EF65 43)。このヘッドマークも見納めか、程度にしか思っていませんでした。
 同列車に乗車し、下関にて(写真)。EF66 43が切り離され、入換後帰庫します。
 牽引機は、珍しい、EF81 409です(写真)。4両あるので、どれかではあるのですが、同機の記録は恐らくこれだけです。
 そして、門司からはED76 92です(写真)。
 鳥栖で、右(前)のオハネフ25「はやぶさ」から、左(後)スハネフ14「さくら」を切り離します(写真)。
九州用24系25形は、まさか14系より短命だったと、一体誰が予想できたでしょうか。
 そして、「さくら」は長崎に終着しました(写真)。同列車は残席1の、ほぼ満席で、これでどうして守れなかったのでしょうか。
お名残乗車だけとは思いませんが。
 そして、長崎運転所へ、DE10 1756が牽引の準備を始めます(写真)。
 鳥栖からの牽引機は、ED76 90で、この頃からJR九州も、ED76の塗色を元の赤に戻し始め、写真写りが良くなりました。
 同機も入換、駅横の長崎運転所に入庫します(写真)。
長崎新幹線関連工事で、同運転所も早岐に移転、今はその面影も無いでしょう。
 今は鉄道博物館に展示される、ナハネフ22 1は、引退後大船工場、後の鎌倉総合車両センターにて保存されていました(写真)。
同工場閉鎖直前の、最後のイベント時の記録です。
 「出雲」記録時の、東京駅出発を末EF66 53「富士・はやぶさ」(写真)。東京駅では、正面は捉えられません。
 同編成の末尾(写真)。ステンレス帯を外し白帯となったスハネフ15、「富士」を掲出します。
正直14系は帯に統一が無く、編成美を著しく損ねていました。
 その折り返し、EF6645牽引「富士・はやぶさ」の、東京終着の図(写真)。ほぼ真昼、優雅な列車でした。
 間もなく牽引機は切り離され、スハネフ15「はやぶさ」が見えます(写真)。折り返し回送を待ちます。
 GWに、出発から遅れ、下関で正午を過ぎ、運転打ち切りとなった「富士・はやぶさ」(写真)。
この年の九州遠征は、出鼻を挫かれました。
 翌日、熊本で捉えた「はやぶさ」終着の図(写真)。九州新幹線工事が酣で、仮ホームになっています。
 帰り道、大分で捉えた出発前の「富士」、これも同じED76 90牽引です(写真)。
 編成写真(写真)。「九州特急」が6両になるなんて、昔誰が考えたでしょうか。
 再度、末尾はスハネフ14でした(写真)。
 再度乗車した、「富士・はやぶさ」(写真)。今度は、定時でした。
 下関での、機関車交換で、任務を終えたEF66 47が、帰庫します(写真)。
 間もなく、EF81 410が接近、関門トンネルを目指します(写真)。
 そして九州入り、門司で「はやぶさ」牽引機ED76 90が、接近します(写真)。
同機は、前後両方に「はやぶさ」ヘッドマークを装備します。
 そして、「はやぶさ」は、熊本に到着します(写真)。
 末尾は、スハネフ14でした(写真)。
 再び、大分での「富士」です(写真)。高架化前の、懐かしい写真です。
 同列車は、間もなく、発車します(写真)。スハネフ15が末尾でした。
 電車特急「ソニック」で、中津で追い越し、小倉経由で門司へ。
間もなくED76 90牽引「はやぶさ」が、入線します(写真)。
 ED76は切り離され、間もなくEF81 410が、同編成に連結されます(写真)。
この後、同機はこの編成を牽き一旦引上線に入ります。
 遅れて、ED76 66牽引「富士」が、入線します(写真)。
 そして、ED76を切り離し、門司港方から「はやぶさ」が接近、連結されます(写真)。
 そして、下関へ向けての出発準備が整いました(写真)。
しかし、終点まではそれから約1,000キロあります。
 名古屋での出発を待つ「富士・はやぶさ」、EF66 43牽引です(写真)。
 他日、EF66 48です(写真)。
 韓国遠征の帰り道、関釜フェリーを下り待っていると、EF66 49牽引「富士・はやぶさ」に出くわします(写真)。
タイミングも、ラッキーです。
 切り離された、「はやぶさ」スハネフ14です(写真)。
 EF66 49は、帰庫します(写真)。
 入れ替わり、EF81 410が、接近します(写真)。
 そして連結、出発準備が整いました(写真)。間もなく発車します。
 最末尾の「富士」、スハネフ14でした(写真)。
 再び名古屋、EF66 49牽引「富士・はやぶさ」です(写真)。
 最末尾のスハネフ14は、「富士」のテールサインを掲出します(写真)。
 最後の国鉄直流特急色P形、EF65 535引退時の、大宮で展示された姿(写真)。
「さくら」を掲出します。
 反対側は「惜別」でした(写真)。
 JR東日本高崎車両センター所属、P形初号機501「Pトップ」が、大井のイベントで「あさかぜ」を掲出します(写真)。
535亡き後、最後の特急専用機です。永く、残って欲しいです。
 EF66 53牽引「富士・はやぶさ」名古屋到着の図(写真)。だんだん、意識をする頃となってきました。
 下関からは、EF81 411でした(写真)。
門司から、「はやぶさ」牽引機はED76 94でした(写真)。
 同列車は、門司を発車します(写真)。
 そして、「富士」は、牽引機を待ちます(写真)。
 「富士」牽引機は、ED76 90でした(写真)。
 そして、連結完了、出発を待ちます(写真)。
 JR貨物広島車両所のイベントから。
関東圏で活躍したEF65 1038は「つるぎ」、1129は「さくら」を掲出します(写真)。
 同じく、EF66 1は、「あさかぜ」を掲出します(写真)。
 葬式鉄が動き出す頃、名古屋に入線したEF66 45牽引「富士・はやぶさ」(写真)。不安が現実となる頃でした。
 同じく、別日の、EF66 46牽引「富士・はやぶさ」です(写真)。
 「富士・はやぶさ」も廃止が決定して、最後の乗車となりました。
EF66 51牽引「富士・はやぶさ」の、名古屋入線の図(写真)。
お別れを言う時が来ました。
 下関での、切り離しの図(写真)。写真から、混乱が分かるでしょうか。
 牽引機を待つ、14系客車(写真)。門司方は「はやぶさ」です(写真)。
 そして、EF81 410が連結されました(写真)。
 門司にて、「はやぶさ」牽引機はED76 90でした(写真)。
 「富士」牽引機は、ED76では無く、EF81 411でした(写真)。末期は410と411の2両のみでした。
 「富士」大分到着の図(写真)。
 ED76P形、1020が、延岡からの化成タンク車を牽き停まります(写真)。
20系客車は、牽引機をP形に限定しましたが、14系以降は牽引機は問わないので、結果こうなりました。
 折り返し、大分発「富士」も、EF81 411が牽引します(写真)。
 末尾の、スハネフ15です(写真)。
 そして、門司に到着したED76 90牽引「はやぶさ」(写真)。間もなく、切り離されます。
 そして、EF81 410が、連結されます(写真)。そして引上線に入り、相方を待ちます。
 相方、EF81 411牽引「富士」入線です(写真)。
停止位置前で大光量フラッシュを焚く不届き者が原因で、停止位置がずれてしまいました。
 そしてEF81 411は切り離され、まもなく「はやぶさ」が推進運転されます(写真)。
 そして連結、出発を待ちます(写真)。
 黄瀬川を渡る、「富士・はやぶさ」(写真)。水鏡に映っています。
 「富士・はやぶさ」廃止直後の、GW時に、門司港で保留車となったEF81を発見(写真)。特徴から、411と思われます。
 その後にもEF81、410と思われます(写真)。この後解体されたようです。
 大井のイベントにて、EF60 19が、「あさかぜ」を掲出します(写真)。
 新前橋のイベントにて、EF65 501が「富士」を掲出します(写真)。
 反対側は、DD51 895が「さくら」を掲出します(写真)。実際に、長崎本線非電化時にはあった組み合わせです。
 尾久でのイベントにて、EF65 1118「レインボー」が、「あさかぜ」を掲出します(写真)。
 同じく、EF65 1107が、「富士・はやぶさ」を掲出します(写真)。
 大宮のイベントにて、引退後のEF65 535が、前年と同じ「惜別」を掲出します(写真)。
 同機の反対側は、「はやぶさ」でした(写真)。
 鉄道博物館では、EF58 89が、牽引機として静態保存されます(写真)。
 その後は、「あさかぜ」ナハネフ22 1です(写真)。
 同車の寝台(写真)。3段寝台、幅は52センチです。
 天浜線天竜二俣には、ナハネ20 347が保存されます(写真)。一時は窓も割れていましたが、復元されました。
 JR貨物広島車両所のイベントにて、EF65 1119が、「瀬戸」を掲出します(写真)。
 現役のEF66 27と、引退したEF66 1が、赤富士の「富士」を掲出します(写真)。
 下関車両所のイベントにて、EF65 1128が、「みずほ」を掲出します(写真)。
 同じく、「富士」を掲出します(写真)。
 再び、ナハネフ22 1です(写真)。
 セットされた寝台(写真)。幅も、異なります。
 デビュー当時のパンフレット(写真)。この頃は、夢もありました。
 富士急行下吉田には、「ブルートレインテラス」があり、スハネフ14 20が保存されます(写真)。
 入口(写真)。折戸です。
 緩急室(写真)。立入禁止になっています。
 客室へのドア(写真)。斜めが、特徴です。
 通路(写真)。左側になります。
 15番寝台(写真)。2段化による定員減を補っています。
 13,14番(写真)。3段寝台改造の跡が残っています。
 トイレ及び冷水器(写真)。懐かしいです。
 閉館した「交通科学博物館」には、ナシ20 24が、供食施設として並んでいました(写真)。
 再び、「ブルートレインテラス」ですが、テールサインが「さくら」になっています(写真)。
 緩急室は、同じです(写真)。
 7,8番(写真)。固定式寝台では無かった姿です。
 通路(写真)。進行方向左側です。
 方向幕も「特急 さくら 長崎」になっていました(写真)。
 大宮のイベントで、EF60 510が「富士」、EF65 1115が「富士・はやぶさ」、EF81 133が「北斗星」を掲出します(写真)。
 反対側、EF60 510が「はやぶさ」、EF65 1115が「オリエントエクスプレス’88」、EF81 133が「エルム」を掲出します(写真)。
 弁天町のナシ20 24、閉館直前の姿(写真)。これでも、カレーは準備されていました。
 京都、嵯峨嵐山の「京都ジオラマ館」には、2両の保存車があります。
1両は、EF66 45です(写真)。
 もう1両は、EF66 49です(写真)。「さくら」を掲出します。
本物の運転機器で、ジオラマの模型を運転できるというのが特徴です。
 正面からの姿(写真)。時間があれば、是非どうぞ。
 EF66 45、その反対側の前頭部は、埼玉県さいたま市浦和区の、医院の駐車場にて保存されます(写真)。
 EF66 49の反対側の前頭部は、京都府木津川市のパン屋にあります(写真)。
ヘッドマークは、時々変わるようです。商店ですので、礼儀を通して下さい。
 大分県日田市の施設には、3両の保存車があります。
先ずは、「富士」のヘッドマークを掲げた、ED76 91です(写真)。
 運転台(写真)。国鉄形機関車としては、標準的です。
 続いてオロネ15 3005です(写真)。
A寝台「シングルデラックス」、オロネ25から改造編入、しかし永くは続きませんでした。
方向幕は「特急 富士 大分」です。
 寝台(写真)。1人用個室、モケットは交換されています。
 最後は、スハネフ14 5です(写真)。僅か数年で、傷みが激しいです。
 寝台(写真)。このモケットも、交換されています。
 再び富士急行、「ブルートレインテラス」、スハネフ14 20です(写真)。
 テールサインは、「富士」です(写真)。
 側面方向幕は、「特急 富士 西鹿児島 日豊線経由」でした(写真)。日本最長列車時代のものです。
 寝台(写真)。JR東日本時代の姿で、末期には「北陸」に使用されていました。
 九州鉄道博物館、スハネフ14のテールサインも「富士」です(写真)。
 車両全景(写真)。折妻の、スハネフ14 11です。
 客室扉(写真)。乗降扉のステップのスペースを稼ぐため、例外なく斜めです。
 寝台(写真)。こちらもJR九州時代のモケットになっています。
 大宮でのイベントから、EF65 1115が「富士」、EF65 2139が「さくら」、EF81 81が「カシオペア」を掲出します(写真)。
 平成28年に開館した「京都鉄道博物館」、プロムナードには、20系客車の食堂車、ナシ20 24があります。
「交通科学博物館」(閉館)時代から、中では供食が行われていましたが、現在もそうです。
 同車を、反対側から(写真)。調理室側に、業務用ドアがあります。
 車内(写真)。テーブル等はオリジナルとは思われませんが、雰囲気は出ています。
 食事は、弁当等も用意されますが、やはりほぼ中で調理している「カレー」が食べたいですね(写真)。
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