特集 保存車両たち 神奈川・千葉編
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 まずは、神奈川県から。
 京急ファインテック久里浜工場内には、2両の保存車があります。
 1両は、モハ51です(写真)。
 もう1両は、モハ1です(写真)。
 相模原市中央区の公園には、D52 235があります(写真)。
 川崎市多摩区の公園には、2両の保存車があります。
 1両は、D51 408です(写真)。
 もう1両は、スハ42 2047です(写真)。
 川崎市川崎区の公園には、川崎市電(廃止)702が保存されます(写真)。
 神奈川臨海鉄道本牧貨物駅のイベントから。同駅で保存されるC56 139が展示され(写真)、推進ながら動いたとのことです。
 横浜市中区の公園には、D51 516が保存されます(写真)。
 逗子市の公園には、京急デハ601があります(写真)。
 鎌倉市の公園には、江ノ電107があります(写真)。
 藤沢市の公園には、C11 245が保存されます(写真)。
 藤沢市の別の公園には、小田急クハ2658が保存されます(写真)。
 平塚市の公園には、D52 403が保存されます(写真)。
 厚木市の公園には、D51 1119があります(写真)。
 山北町の公園には、D52 70があります(写真)。
 小田急線開成駅前には、小田急3100系3181があります(写真)。
 国鉄大船工場、後の鎌倉車両センター支所(廃止)の、閉鎖前最後のイベントから。
 最初は南武支線用101系、クモハ100 172です(写真)。
 今は鉄道博物館に展示されるナハネフ22 1です(写真)。同所にて保管、整備され、現在も美しい姿を保っています。
 クモハ100 172の相方は、クモハ101 130です(写真)。後継車、山手線205系改造車と並びます。
 完全に南武線用の101系ですが、車番は失念しました(写真)。
 103系1000番代流用の入換動車です(写真)。車籍は無く車番も不明です。
 房総特急183系、クハ183 3が「あやめ」を表示します。
 一部の人たちが勝手に回して遊んでいるので、私が入ると、ここで停めてしまいました。
 続いて、千葉県へ。
 松戸市の公園には、D51 405があります(写真)。
 流山市の市施設には、2両の保存車があります。
 1両は、D51 14です(写真)。
 もう1両は、総武流山鉄道(現「流鉄」)キハ31です(写真)。
 柏市の公園には、D51 453があります(写真)。
 小湊鐵道五井機関区にある、同鉄道初期のSL3両(写真)。B104の隣は、2号、1号です。
 同じく、キハ5001です(写真)。車籍はありません。
 千葉市内の公園に保存される、NUS6です(写真)。工場内入換機です。
 千葉市内の別の公園に保存される、NUS5です(写真)。
 千葉市内の更に別の公園には、NUS7があります(写真)。
 習志野市の小学校には、同じくNUS2があります(写真)。
 習志野市の公園には、旧陸軍鉄道連隊があった関係で、K2形134があります(写真)。
 習志野市の別の公園には、王滝森林鉄道No.92、運材台車、客車No,4「助六」が保存されます(写真)。
 船橋市の資料館には、D51 125が保存されます(写真)。
 市川市の公園には、都電7011が保存されます(写真)。
 君津市小櫃の市施設には、C12 287が保存されます(写真)。
 茂原市の市施設には、千葉県営軌道人車が保存されます(写真)。
 茂原市の公園には、8620形58680が保存されます(写真)。
 旭市の公園に保存される、C58 217です(写真)。
 銚子市の醤油工場にて保存されるドイツ製DL、通称「オットー」です(写真)。国内のDLとしては最古級のものだそうです。
 成田市の公園に保存される、D51 609です(写真)。
 同所には、ダルマとなったワム75626が保存されます(写真)。
 佐倉市の公園には、8620形58683が保存されます(写真)。
 八千代市には、都電8053を利用したカフェがあります(写真)。
 鎌ケ谷市の公園には、D51 385が保存されます(写真)。
 いすみ鉄道から少し歩く「ポッポの丘」には、当初3両の保存車がありました。
 最初は加越能鉄道、後の万葉線7052です(写真)。
 次は、いすみ204です(写真)。
 次は、北陸鉄道3752です(写真)。
 その後、その向こうには、銚子電鉄デハ702が、旧塗色に戻され保存されるようになりました(写真)。
 以降、現在の車両達を続けます。
 その先には、同じく銚子デハ701が置かれます(写真)。
 その奥には、国鉄では少数派のDC、久留里線を引退したキハ38 1があります(写真)。ギャラリーになっています。
 その横には、千葉モノレール第2編成、1003及び1004が置かれます(写真)。吊架する駆動部分も横に置かれます。
 入換動車です。動態保存らしく、敷設された線路を走行する予定のようです。
 その後は、車掌車ヨ8000形ヨ8818です(写真)。
 その後には車掌車ヨ5000形が3両続きます(写真、ヨ13959)。
 営団(現在の「東京メトロ」)丸ノ内線400形、454です(写真)。引退後幼稚園に売却されたものの、後にここに無償譲渡されました。
 「船の科学館」に収蔵されていた青函連絡船「羊蹄丸」の船内展示であった、DE10 30です(写真)。
 同船解体のところ、引き取られ同所に展示されます。
 A寝台、オロネ24 2です(写真)。開放型プルマン式2段寝台、最後は「銀河」と「日本海」で使用されました。
 方向幕も「特急 日本海 青森」になっています。
 続くはB寝台、オハネフ24 2です(写真)。3段寝台で落成、後に2段式に改造されました。
 テールビューは折妻ですが、見られないのが残念。
 クハ183 1527です(写真)。「しおさい」を掲示します。
 クハ183 21の前頭部です(写真)。「あやめ」を掲示します。
 横須賀色の113系先頭車、クハ 111 1072の前頭部です(写真)。総武地下線用の車両、難燃対策が施されています。
 シートピッチ改善車は1500番台ですが、その前の車両です。タイフォンの位置に注目。
 湘南色の113系先頭車、クハ111 2152です(写真)。一般用113系の、シートピッチ改善車です。
 続いては、銚子鉄道へ。
 マスコットとして人気のあるデキ3、ドイツ製の電機です(写真)。しかし、黒一色でも良かったのでは?
 現在は引退した、1001です(写真)。銀座線カラーです。
 同じく1002、丸ノ内線カラーです(写真)。
 かつてのトロッコ列車「澪つくし号」は、当時既にこのような姿になっていました(写真)。
 久留里線を引退したキハ30 62です(写真)。不格好な外吊り戸は、ステップを設けると台枠強度が不足するため採られた措置です。
 同車の、最近の様子(写真)。位置が移動しています。
 大多喜駅に保存される「人車」です(写真)。その名のとおり、軌道上を人力で押して走る車両でした。
 現在は、人車も国吉に移動しました(写真)。
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