特集 保存車両たち 東北編
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東北と言っても広いですが、引き続き保存車両たちをお届けしたいと思います。
 東北最初は、青森県から。
 青森市の森林博物館にて保存される、森林鉄道「あすなろ号」(写真)。
 これは、状態が非常に良いです。
 続いても森林鉄道、芦野公園にて保存される、酒井製作所DL、運材車及び客車(写真)。
 不審火で、客車は燃えてしまいました。
 保存車両ではありませんが、鉄道関連ということで、青森港にて保存される、「八甲田丸」(写真)。
 船内は、もう少し後で。
 同船近くには、キハ58系と思われる車両が保存されていましたが、朽ちかけています(写真)。
 再訪時には、これらは残っていませんでした。
 当時はまだ保存車両ではなかった、十和田観光鉄道モハ3401(写真)。
 現役当時の姿です。
 同時に、モハ3603も連結されていました(写真)。
 車内はICレコーダーだけで、異様な雰囲気でした。
 七百には、他ED402、ED301も停まり、現役でした(写真)。
 動画カメラがなく、残念でした。
 弘南電鉄大鰐線津軽大沢には、セミステンレス車6000系が4両動態で保存されていました(写真)。
 当時は、赤帯、青帯がありました。
 弘南電鉄弘南線沿線には、元小坂鉄道2105、2107、及びキハ22 30が保存されていました(写真)。
 これらの車両は国鉄から引き継いだ弘南電鉄黒石線で使用された車両、同線廃止でここに保存されていましたが、現存しません。
 弘前市の公園にて保存される、D51 892です(写真)。
 雨の中、カメラの中まで水没することはありませんでした。
 防水マウントと言われる所以です。
 南部縦貫鉄道(廃止)の気動車、キハ102です(写真)。
 展示運転会での姿、動態保存です。
 同鉄道の除雪モーターカーです(写真)。これも、自走します。
 同じく、キハ101です(写真)。
 キハ101、102とも機械式気動車、クラッチを踏みギヤを切り替えます。
 車庫には、国鉄キハ20形のキハ104、及びD451が保存されます(写真)。現在、両車とも動きません。
 遂に廃止となってしまった十和田観光電鉄の、七百へ行きました。
 最初は、ED301です(写真)。
 凸型の電機です。
 続いては、ED402です(写真)。
 更に大型の、凸型電機です。
 留置車両となった、モハ3401です(写真)。
 同じく、モハ3603です(写真)。
 平成26年に再訪すると、これらの車両は跡形無くなっていました。
 八戸市の公園に保存されている、D51 762です(写真)。
 三沢市には、D51 113が保存されます(写真)。正面ガードが、残念です。
 十和田市には、D51 663が保存されます(写真)。
 野辺地町の公園に保存される、C11 210です(写真)。
   青森市内の公園には、C11 167が保存されます(写真)。  
   このときの遠征時に、八甲田丸を再訪しました(写真)。  
   同船内車両甲板には、車両が保存されています。
 最初は、ヨ6798です(写真)。
 
     続いては、スユニ50、509及び510です(写真)。  
     続いては、DD16 31です(写真)。  
     控車ヒ600形ヒ760です(写真)。
 機関車と積載車両の中間に挿入された車両です。
 
     北海道のクイーンであるキハ82、101号です(写真)。  
     同船を車両桟橋側から眺めた図(写真)。
 ここで車両は積載されました。
 
     五能線ウェスパ椿山には、8620形78653が保存されます(写真)。  
     津軽鉄道嘉瀬駅構内には、キハ22028が保存されます(写真)。
 落書きか、「ねぶたデザイン」か、際どいところです。
 
     そして芦野公園の森林鉄道は、客車を解体し台車だけにし、現在の姿になります(写真)。  
     津軽大沢の弘南6000系の、現在の姿(写真)。帯がなくなり、セミステンレスそのままの姿です。  
   かつて鰺ヶ沢にあった48640は、現在弘南電鉄弘南線新里にて保存されます(写真)。  
   同じく弘南電鉄平賀には、キ104が出ていました(写真)。  
 弘前市の公園に保存される、D51 892です(写真)。
 再訪時は冬囲いがされており、遂に晴天時に念願が叶いました。
 中泊町博物館に保存される、協三工業製森林鉄道DLです(写真)。
 日曜休館で開館日が合わず、幻となりかけていた1両です。
     続いては、秋田県へ。
 羽後交通雄勝線(廃止)西馬音内(にしもない)駅近くには、同線モハ3が保存されます(写真)。
 イベント時以外には、建屋の中に入れません。
 
     仁別森林博物館には、温根湯森林鉄道2号機が保存されます(写真)。
 この日は閉館後で、中には入ることは出来ませんでした。
 
     最後は貨物専業であった小坂鉄道(廃止)の、廃止直後に小坂へ行きました。
 駅構内にはモーターカー1両のみで(写真)、残念でした。
 
   八幡平にも近い、尾去沢鉱山の駐車場に保存される、モーターカー(写真)。
 2軸のスイッチャーです。
 
   鉱山で使用されていたバッテリーロコ(写真)。
 しっかりスリーダイヤが入っています。
 
   小坂町総合博物館郷土館では、かつての小坂駅が再現されています。
 写真は軽便時代のSL、11号です(写真)。
 
   従えているのは、ハ1です(写真)。木造客車です。  
   後に改軌され、国鉄と同じ狭軌になりました。
 その当時の営業車両、2101です(写真)。
 同形は、旅客営業廃止まで活躍しました。
 なお、同車は現存しません。
 
   横手市内の公園には、D51 270が保存されます(写真)。
 道沿いで、一発でした。
 
   再度登場、温根湯森林鉄道2号機です(写真)。
 後の窓が、開館中を示しています。
 
   館内には、能代森林鉄道D-29が保存されます(写真)。
 4軸ボギーのDL。森林鉄道としては大型です。
 
   秋田市内の公園に保存される、D51 232です(写真)。  
   小坂でのイベント時に実現した、DD13揃い踏み(写真)。
 左から、DD13-556、DD131、DD132、DD133、全機動態です。
 
   同日の展示、ラッセル車キ113です(写真)。
 緑色のラッセルです。
 
   後に除雪は、写真のモーターカーが行ったようです(写真)。
 これも動態保存です。
 
   北秋田市鷹ノ巣の公園に保存される、C11 372です(写真)。  
   能代市二ツ井の道の駅には、写真のような運材車のレプリカがあります(写真)が、誰からも忘れ去られたような場所にあります。  
   その近くに、写真のような場所が(写真)。
 冷蔵車レム5000形のようですが、朽ち果て、詳細は分かりません。
 
   その後には、ヨ8788と、旧トンネルを利用した貯蔵庫があります(写真)。  
     土崎駅にも近い公園には、D51 370が保存されます(写真)。
 工場内のD51 44も気になります。
 
 再び登場、仁別森林博物館に保存される、温根湯森林鉄道2です(写真)。
 館内の、能代森林鉄道D-29も、変わりありません(写真)。
 酒井製作所製の、大型DLです。
 同館の裏も、保存車両があります。
 最初は、軌道集材車(写真)。
 同じ機関を軌道走行と集材ウインチの両方に切り替えられる、車両です。
 チェーン駆動です。
 鉄製台車に載せられた、集材橇です(写真)。
 山中にコロを敷き、機関動力で走るソリです。
 木製台車に載る、別の形の集材橇です(写真)。
 バラスト散布車(写真)。
 台車に載せられ、下方から散布するホッパ車同様の構造です。
 仁別への途中で発見した、元由利高原鉄道YR-1501です(写真)。
 補修のためか、前部に布が掛かっています。
 小坂鉄道の、特殊狭軌当時のSL11と、貴賓車は、現在「小坂レールパーク」にて保存されます(写真)。
 小坂鉄道の除雪モーターカーは、現在トロッコ牽引機となっています(写真)。
 同鉄道DD131と、DD133は、園内移動の運用に就きました(写真)。
 片上鉄道から来た、DD13-556は、写真のとおり建屋で留置されます(写真)。
 キ113も、展示されます(写真)。
 その後には、「エボルタ電車」がありました(写真)。
 その後には、小坂町郷土館にあった、保線用原付軌道自転車がありました(写真)。
 DD132は、整備中でした(写真)。
 そう、「小坂レールパーク」一番の楽しみは、24系客車に宿泊できること(写真)。
 朝には、構内ながら乗車体験も出来ます。
   続いて、岩手県へ。
 八幡平市松尾歴史民俗資料館には、松尾鉱業鉄道ED251が保存されます(写真)。
 
   花巻市の公園には、花巻電鉄デハ3が保存されます(写真)。
「うまづら電車」のあだ名があります。
 
   一関市の市施設には、C58 103が保存されます(写真)。
写真は、日没間際を感じさせません。
 
   釜石市鉄の歴史館には、富士製鉄釜石209号があります(写真)。
 かつて釜石から岩手石橋まで走った、軽便時代の釜石線で使用された機関車と思われます。
 
   宮古市磯鶏には、9625があります(写真)。ここは震災の被害が軽微で、同機も無事でした。
 近くへ行くと、私の車のナンバーを見て、「遠くから、わざわざ」と言われ、金網の内側に入れて貰いました。
 
   再び、松尾鉱業鉄道ED251です(写真)。  
   花巻の「うまづら電車」、昼の姿です(写真)。左側の柵が増えました。  
   現在「SL銀河」として走る、C58 239は、元は盛岡市のこの公園に保存されていました(写真)。
同時に、客車も無くなりました。
 
   小岩井農場「SLホテル」の、D51 68です(写真)。
20系客車3両を従えています。
 
   北上市の公園には、保存車が3両あります。
 最初は、キ228です(写真)。
 
   続いては、C58 342です(写真)。  
   その後には、ワフ29826があります(写真)。  
   続いて、山形県へ。
 山形交通高畠線(廃止)の、ED1です(写真)。
雪の日で、大変でした。
 
   遊園地には、山形交通ED2が保存されます(写真)。
   その後は、同じくモハ2です(写真)。
倉庫代用の感じです。
 
   酒造資料館には、山形交通三山線モハ103が保存されます(写真)。
酒造には理想的ですが、大変です。
 
   善宝寺鉄道資料館には、C11 247の動輪があります(写真)。
海沿いと、山岳部でこんなに天候が違うとは。
 
   同館には、ここを走った庄内交通モハ3が保存されます(写真)が、状態は微妙です。  
   再び高畠を訪問。山形交通モハ1です(写真)。  
   その次は、ワム201です(写真)。  
   ED1の全景です(写真)。  
   同じくモハ103も、晴れた日にはこうでした(写真)。  
   河北町の「いもこ列車」、347です(写真)。
動態保存、運転日には乗車体験も出来ます。
 
   同所には、ヨ8798が保存されます(写真)。  
   真室川町の施設では、加藤製作所4と、木造客車が体験乗車できます(写真)。  
   山形駅近くの公園には、8620形68691が保存されます(写真)。  
   同所には、9600形の動輪が保存されます(写真)。  
   遊園地のED2、モハ2は、晴天時にはこのとおりです(写真)。  
   上山市の公園には、C58 231が保存されます(写真)。  
   高畠も、この日はこうでした(写真)。  
   新庄市の公園には、C58 304が保存されます(写真)。  
     続いて、宮城県へ。
 廃止間もない「栗原電気鉄道」、後の「くりはら田園鉄道」の、電鉄時代の車両、M153です(写真)。
 
   電化を廃止し、内燃化した際に転入した、元名鉄キハ10形、KD10形12及び11が、停まります(写真)。
2軸単車、所謂「LEカー」です。
 
   電化廃止後の主力、KD950形、KD953です(写真)。
車齢は浅いですが、廃止後はここにいました。
 
   同時に入線したKD951及び952は、洗浄線で放置されていました(写真)。  
   「細倉マインパーク」駅跡には、ED202が、有蓋車を従え保存されていました(写真)。
立派に整備された駅前ロータリーが無駄になってしまいました。
 
   岩出山駅前には、協三工業製DLが保存されます(写真)。  
   東北本線山線(旧線、一部廃止)の、廃線跡に残る、2両の保存車。
 1両は、C58 354です(写真)。
 
   もう1両は、ED91 11です(写真)。試作交流電機、ED90 1、ED91 1に続く3両目、東芝製です。  
   利府町のJR東日本「新幹線車両センター」には、震災前は見学を申し込めば入場可能でした。
 まずは、200系新幹線221-1、237-1です(写真)。
 
   200系の試作車である、961-1及び961-2です(写真)。
 運転台の車両モニターはCRTディスプレイで、カラー液晶がふんだんに使用される現在からは、全く想像もつかない姿です。
 
   JR東日本初の新幹線試験車、”Star21”、953-1及び953-5です(写真)。
 現在、この角度で一般見学者が撮影することは、不可能です。
 
   奥の、機関車展示場へ。
 元々は利府駅北側に並んでいたのですが、サッカーワールドカップ開催の関係で、この場所に移転しました。
 最初は、ED77 1です(写真)。サイリスタ制御車、中間付随台車で等級の低い線区への入線も可能です。
 仙山線、磐越西線などで活躍しました。
 
   その後は、ED91 21です(写真)。日立製、4両目の交流電機、仙山線で試験されました。
 ED91の成功が、後の国内の交流電化の原動力となりました。
 
   その後は、ED78 1です(写真)。ED77を元に、奥羽本線福島~米沢間、所謂福米線本務用に開発されたELです。
 中間付随台車があり、等級の低い路線への入線も可能でした。
 
   隣の列、一番前は、EF71 1です(写真)。福米線補機を中心に、本務にも使用可能な電機です。
 メカ的には、ED78が2組搭載する制御装置を3組搭載し、全動軸の機関車です。
 軸重が重く、他線転用がきかず、山形新幹線開業で全機引退しましました。
 
   昭和期から平成まで東北本線の主力であった、ED75の1号機です(写真)。
 交流電機標準化を目指し製作された同機、1号機日立と2号機三菱との競作となりましたが、三菱が勝利しました。
 故に0番代はM形と呼ばれます。
 
   ED75登場までは、東北本線はED71の天下でした。その1号機です(写真)。
 この6両のうち、EF71 1は東芝ですが、他は全て日立製です。
 
   その横には、SLが3両あります。
 1両目は、D51 1108です(写真)。完全な戦時形車両です。
 D51の製造は総数1115両ですが、飛び番があるため、最終号機は1161号機です。
 
   その後は、C58 365です(写真)。客貨両用のプレーリー、D51の弟分です。  
   最後は、C11 351です(写真)。軸配置は1C2の、アンチパシフィックです。
 現在これらの車両の見学は出来ません。いつか、開放される日を待ちたいと思います。
 
   震災前の「仙台市電保存館」です。当時も、今も3両の保存です。
 1両目は、仙台市電1です(写真)。
 
   2両目は、123です(写真)。  
   最後は、415です(写真)。仙台市電最終期の製造です。  
   角田市の公園には、DE10 88と、ヨ13797が保存されます(写真)。  
   船岡駅前には、2両の保存車があります。
 1両は、ED71 37です(写真)。これが近づける限界でした。
 
   もう1両はオハフ61とのことですが、車番は不明です(写真)。  
   仙台市内、秋保温泉には、元仙台市電、後の長崎電軌1053が、里帰りしました(写真)。  
   美里町小牛田には、C11 367が保存されます(写真)。  
   陸羽東線西古川には、C58 19があります(写真)。正面ナンバーが破損して、残念です。  
   大崎市の公園には、C58 114が保存されます(写真)。  
   中山平温泉駅前には、C58 356が保存されます(写真)。  
   震災後に、「仙台市電保存館」に行きました。震災前にほぼ復し、同様な展示になっていました(写真)。  
   宮城県の遊園地では、「栗原電気鉄道」の車両が保存されます(写真)。左から、ED201、M152、C152です。  
   「くりはら田園鉄道」中心駅若柳駅は、都市計画で駅構内が中央で分断され、東西に分かれました。
その東側は、車両展示場になっています(写真)。ED203他です。
 
   塗装の傷んでいたM153も、美しく復元されました(写真)。  
   KD11を挟み、その手前はKD951です(写真)。塗装も補修されました。  
   ED203の後はモーターカーが2両並び、トラ、トラ、ワフが並びます(写真)。
 この施設は年に数回の公開イベントの時のみ開放されるとのことで、それ以外は眺めることしか出来ません。
 
   細倉マインパーク駅跡のED201には、屋根がつきました(写真)。永く残るよう、願うのみです。  
   正確には保存車ではありませんが、E311-1001です(写真)。
 連結器開閉の展示に置かれていましたが、おそらく解体されたでしょう。
 新幹線車両センターイベントでの一枚でした。
 
   同日の撮影、左”STAR21”953-1他、右221-1他です(写真)。  
   奥の961-1他は、柵の向こう側で、立入禁止でした(写真)。  
     同様に、SL、EL展示場も立入禁止でした(写真)。これらが再び見学できる日は、来るのでしょうか。  
   石巻市の公園に保存される、C58 228です(写真)。  
     続いて、東北最後は福島県です。
 猪苗代町の施設で展示される、沼尻鉄道DC12、及び同番の客車が2両です(写真)。
 11月の雪で、大変でした。
 
   喜多方市熱塩の「日中線記念館」には、2両の車両が保存されます。
 1両は、キ287です(写真)。
 
   その後は、オハフ61 2752でした(写真)。  
     これも正確には保存車ではありませんが、仙石線最後の103系、解体前の郡山車両センターでの姿です(写真)。
 今では、関西でしか見ることが出来ません。
 
     会津柳津には、C11 244が保存されます(写真)。手入れが良く、美しいです。  
     これも正確には保存車ではありませんが、元名鉄、後に会津鉄道に移籍したキハ8500系、唯一の中間車キハ8555の姿です。
 後に解体されたらしく、再訪時にはありませんでした。
 
   元トロッコ車両、AT301です(写真)。引退後、芦ノ牧温泉駅構内に保存されていました。キハ30が種車です。  
     同じく、キハ8503、8502です(写真)。JR東海キハ85同様の足回りに、名鉄「パノラマスーパー」同様の車内設備の車両です。
 特急「北アルプス」廃止で会津鉄道に移籍しましたが、引退しました。
 
     同じく、会津田島の構内にあった、キハ8504と8501のペアです(写真)。
 現在は、個人に譲渡されたと聞いています。
 
     蒸気ロータリー車、キ621です(写真)。テンダを従えた、大型の車両です。  
     その後はラッセル車、キ172です(写真)。  
     再び登場、会津柳津のC11 244です(写真)。黒光りしています。  
     只見町の施設に保存される、C58 244です(写真)。  
     会津坂下町の学校に保存される、C58 215(写真)。缶のハンドルは、特徴的です。  
     喜多方市には、2両の保存車があります。
 1両は、C11 63です(写真)。
 
     もう1両は、新潟鐵工所製DLです(写真)。日中線(廃止)線路跡に並びます。  
     郡山市の公園に保存される、D51 264です(写真)。鉄道省郡山工場製です。  
     福島市郊外の施設には、C12 60が保存されます(写真)。  
     福島市中心部の施設には、C57 46が保存されます(写真)。  
     同じく福島市中心部には、福島交通1119が保存されます(写真)。  
     伊達市の施設には、福島交通1115が保存されます(写真)。  
     会津田島駅には、C11 254が保存されます(写真)。切り取りデフです。  
     郡山市、郡山車両センター(旧称「郡山工場」)には、78693のカットボディーがあります(写真)。  
   南相馬市の博物館に保存される、C50 103です(写真)。8620形の改良版ですが、あまり残っていません。
   いわき市石炭・化石館に保存される、D51 946です(写真)。  
         
         
   これで全体の約9割と、自負しています。完全を目指し頑張りたいと思います。  
 
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